海の「当たり前」を変えていく
―― 歩みだしたブリ完全養殖への道
「お客さまが手に取りやすい、美味しいおすしを届け続けたい」。その思いの先に、F&LCが川上で取り組むプロジェクトがあります。拓洋さまとの合弁会社「マリンバース」で進めている、ブリの人工種苗(※)による生産への挑戦です。天然の稚魚に依存してきたブリ養殖の仕組みを根本から変えようとするこのプロジェクトの現場を取材しました。話を聞いたのは、F&LC上流事業部の小澤魁人です。
(※人工種苗=養殖の親から人工的に生まれた稚魚のこと)
プロフィール
F&LC上流事業部 小澤魁人
北海道大学大学院で水産化学を研究。マリンバース設立の主担当として立ち上げから一貫してプロジェクトを担う。
※所属・役職は取材当時のものです。
「美味しい」の力に気づく
―― 小澤さんは水産の研究をしていたと聞きました。F&LCに入社した経緯を教えてください。
大学院では水産物の主成分分析について研究していました。海に潜ってサンプリングして、教授のサポートのもとで研究をする。それ自体はいい経験だったんですが、あるとき漁協の方に研究成果を紹介する機会があって、こう言われたんです。「研究のことはわかった。でもな、美味しいかどうかのほうが大事だぞ」と。
ハッとしました。「美味しい」という感覚はすごくストレートに伝わる。その本質的な力に気づきました。川上の研究、調達からお客さまの「美味しい」まで一貫して携われる場所で働きたい――そう考えてF&LCに入社しました。

モジャコ大不漁が突きつけた現実
水産業は今、大きな転換期にあります。気候変動によって海水温の分布が変わり、獲れる魚の種類や量が年々変動するようになりました。F&LCでは、安定してお客さまに届け続けるためには自然任せの調達から一歩踏み出す必要があると考え、さまざまな観点から、持続可能な調達の方法を模索していました。そんな中で、象徴的な出来事が起きます。
―― マリンバースはどのような経緯で立ち上がったのですか。
日本の養殖ブリの8~9割は、天然の稚魚に頼っています。海に漂う藻に付いて日本近海までやってくるブリの稚魚――「モジャコ」と呼ばれるこの小さな魚を漁業者が獲るところから養殖が始まるんですが、漁獲量は年によって大きく変動します。2021年には例年の約6割にまで落ち込む大不漁が起きて、天然の稚魚が獲れなければ養殖そのものが成り立たなくなるというリスクが、一気に現実味を帯びました。
一方で、マダイはすでにほぼ100%が人工種苗に切り替わっています。計画的に生産できるので市況に左右されにくく、安定した事業になっています。同じことがブリでもできないか、その問いからマリンバースは始まりました。
マリンバースは、マダイやクロマグロの養殖を種苗から一貫して手がけている拓洋さまと、F&LCとの合弁会社です。設立は2022年。当時、ブリの人工種苗を商業ベースで安定供給できる体制はまだ整っていなかったので、まずは拓洋さまが生産していたマダイの種苗を取引先の生産者さまに使っていただくところから始めました。
―― そこからブリの人工種苗の研究も同時に進めていたのですね。
はい。拓洋さまにブリの人工種苗の研究・生産を進めていただく一方、国の水産研究・教育機構が進める技術移転プログラムも活用し、研究所から直接技術指導を受けながら種苗生産の技術を磨いてきました。国は2050年までにブリの人工種苗100%化を目標に掲げていて、官と民が連携してこの分野を前に進めようとしています。こうした支援も活用しながら、設立から約3年をかけて、ようやく人工種苗の販売にこぎつけることができました。
―― 初めてブリの人工種苗を販売したのが2025年ですね。
はい。最初のパートナーになってくださったのが、三重県尾鷲市の尾鷲物産さまです。人工種苗はまだ前例の少ない取り組みですから、多くの養殖業者さまが様子を見ている中で、尾鷲物産さまは最初から一緒に歩んでくださいました。
尾鷲―― 養殖の現場を訪ねて
三重県尾鷲市の尾鷲港――熊野灘に面したリアス式海岸が続く、古くからの漁師町。入り組んだ湾の穏やかな海面に、養殖のいけすが並んでいます。
研究室で生まれた技術が、美味しい魚としてお客さまに届くまでには、現場で育てる人の力が欠かせません。人工種苗を実際に育てている現場では、どんな手応えを感じているのか。総合水産企業、尾鷲物産の常務取締役 玉本卓也さまに話を聞きました。

―― 人工種苗の導入を決めた理由を教えてください。
マダイやヒラメ、トラフグでは、すでに完全養殖が当たり前になっています。ブリも遅かれ早かれそうなるだろうと、20年以上前から思っていました。ブリ養殖事業の将来を総合して考えると、取り組まないという選択肢はなかったです。
―― 実際に育ててみて、人工種苗の印象はいかがですか。
昨年6月に稚魚の状態で受け入れて約9か月育てたところですが、天然ものとほぼ同等の大きさにまで育っています。興味深かったのは、冬場の低水温で天然の魚が餌を食べ渋ったときにも、人工種苗は安定して食べ続けていたことです。こういう発見があるのも、初めての取り組みだからこそです。
―― F&LCとのパートナーシップについてはどうお感じですか。
安定した品質と出荷体制が整えば、美味しくて良い魚をもっとお手頃な価格で届けられるようになります。うちが育てたブリはF&LCの海外店舗にも届いていますから、届ける先が広がるほど、こうした取り組みの意味は大きくなっていくと感じています。
―― ブリの人工種苗は、今後業界全体に広がっていくとお考えですか。
そう思います。天然の稚魚の漁獲量は年によって大きく振れますし、産卵の場所や時期がずれるだけで獲れなくなることもある。人間にはコントロールできない部分です。
一方で、マダイやアトランティックサーモンではすでに人工種苗が業界の標準になっていて、天然の稚魚に戻ろうという動きはありません。
マリンバースさまには先端技術を活用して、最短距離で最良の種苗を生み出していただきたい。私たちも、人工種苗に合わせた飼育技術を磨いていきます。種苗を作る側と育てる側、その両方が進歩して初めて、ブリの完全養殖は実現できるものだと思っています。





完全養殖への道、その先に見えるもの
尾鷲物産さまでの取材を終え、改めて小澤に、今後の展望を聞きました。
―― マリンバースでの完全養殖の実現にはどのくらいかかるのでしょうか。
今育てている人工種苗が成熟するのが2027年から2028年ごろ。そこから親魚として次の世代の稚魚が生まれれば、ようやく完全養殖と呼べるようになります。ブリは1世代が約3年なので、複数世代、長期的な取り組みが必要です。
一方、F&LCが出資する広島大学発のバイオテクノロジー企業、プラチナバイオさまとの共同研究で、選抜育種(※)のために育成中の魚の遺伝子を読み解く研究を進めているんですが、遺伝的に育ちやすい個体の傾向が少しずつわかってきました。このような技術を活用した育種を進めれば、より効率的に美味しくて品質の良い魚をお客さまにお届けできるようになります。
(※選抜育種=優れた特徴を持つ個体だけを選んで親にし、その特徴を次の世代に受け継がせていく方法)
天然の稚魚の質は自然まかせなので変わりませんが、人工種苗は世代を重ねるごとに改善していけます。その「伸びしろ」こそが、人工種苗の一番の強みです。
この先も、美味しいおすしを届け続けるために
―― 最後に、この取り組みを通じて実現したいことを教えてください。
F&LCは協業いただく生産者さまが育てた魚の多くを店舗で販売します。市況の変動に左右されず、安心して養殖に取り組める環境を一緒につくりたい。F&LCのビジョンに「変えよう、毎日の美味しさを。広めよう、世界に喜びを。」という言葉がありますが、届ける先が広がるほど、安定した供給の仕組みがますます大事になっていきます。だからこそ、人工種苗による計画生産が必要なんです。
10年後も、その先も、お客さまに変わらず美味しいおすしを届け続けたい。尾鷲物産さまのように最初の一歩を共に踏み出してくださるパートナーがいたからこそ、養殖の取り組みを始めることができました。ブリ以外にも、さまざまな魚種、さまざまな地域で、養殖の取り組みを一緒に進めていただける生産者さまと出会えたらうれしいです。まだ道半ばですが、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。
